
寺山直哉(てらやまなおや)教授。
京都市立芸術大学大学院を修了後、CGプロダクションを経て、2002年大阪電気通信大学教員に。CGプロダクションではディレクターとして、ディノクライシスをはじめ数々のゲームやCM等のCGアニメーションを手がけ、個人活動では映画の制作、出演等も行う。現在も制作現場でディレクター職を努めながら、生徒指導にあたる。
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Works上段左 |
僕が最初に「つくること」に自覚的な興味をもったのは、小学校2年生の時だったと思います。ありがちな話なのですが、図工の時間に割り箸を材料にして「塔」を作るという課題がでました、「さぁ、みんな色々な形の塔が考えられるよね!?自由な塔を作って下さい」と先生。皆が、様々な形の塔を作り、僕も実際にはありはしないヘンテコな形の塔を作りました。ところが僕だけが、塔のてっぺんに「日の丸の旗」をちょこん!と乗っけてたんです。ちょうどお子様ランチのように…。それでクラスの中の「タワーベスト3」に選ばれました(笑)。合評の時、他の皆は「寺山くんだけずるい、先生は他のものをくっ付けていいなんて言わなかった!」と、、、そこで、僕が下を向いてると、先生が「あら?でも、つけちゃいけないなんて一言もいわなかったわよ」と言ってくれました。その時、僕の中で何か霧が晴れていくような気分がしました。それ以来、僕は自分の中で「図工が得意!」「絵が得意!」というように思い込むようになりました。要は親以外の人に誉めてもらって、自分に自信がもてたのでしょう。
今でもあのときの「霧が晴れていく感じ」は忘れられません。
僕達は大人になるに従って、技術や知識など様々なものを手に入れてゆきます。でもそれ故に、その中での暗黙のルールや常識に縛られ始め「心の霧」が晴れない時も多くなるように感じます。知識や経験等に関する様々な恐れを手放すことで、大人である僕たちもずっと「恐るべきこどもたち」でい続けられるのではないでしょうか。それは言わば、真の自分自身を取り戻すことだとも思います。
人生が、時代の空気や様々なものとの関係で、常に自分自身をチューニングし続けるものだとしたら、それはまさにクリエイティブな行為そのもではないでしょうか?
商業芸術も純粋芸術もありはしない。
テクノロジーもアートもありはしない。
プロフェッショナルもアマチュアもありはしない。
君も僕もありはしない。
みんな同じ、スポーツマンシップならぬ、いわば「クリエイティブシップ」で結ばれている。
僕もそんなクリエイティブシップにのっとって、自分自身をつくってゆく上での品性やマナーを培ってゆきたいと考えています。